昔のアメリカ農業 2
ハーバードのアルヴィン・ハンセンからジョン・メイナード・ケインズにいたる世界的に高名な経済学者の多くが、長期にわたる全世界的な不況を予言していました。
こうした状況下では、シンプロット社の共同経営権など大した値打ちのあるものと考える者は少なく、ほとんどがシンプロット社の株式の引受けを拒否したのです。
金集めにぎりぎりまで精根をすりへらし、生涯ただ一度、借金で首が回らない状態に置かれながら、シンプロットは自分の幸運をとうてい信じられない思いでいました。
彼は共同経営の権利を安く買取り、明らかに価値のあるものに対して世間がまったく見る目のないのに驚いていました。
少年の頃健康な子羊や子豚をただで手に入れられることを発見したあの時と同じ気分でした。
「俺は経済学者じゃない」
彼は自分のもとを去ろうとする友人に言いました。
「しかしものを見る目を持っている」と。
これがシンプロット社ビルの玄関に刻まれることになるのでありますが、彼の目はこう語っていました。
「この国はこれから将来、永く発展するだろう」
・・・・1946年、巨大なコールドウェルの工場で新製品の開発にあたっているレイ・ダンラップという化学者が、シンプロットに冷凍ジャガイモを始めてはどうかと提案しました。
これまで、不可能だと思われていたことでした。
細胞組織そのものが崩れてジャガイモは解凍時にどろどろに崩れてしまうからです。
しかしダンラップはまずジャガイモをゆでてから、ほとんどの水分を除去できるような方法で圧縮すれば、効率よく冷凍でき、解凍した時にも形が崩れないと説明しました。