昔のアメリカ農業 4
しかし、フレンチ・フライの生産を安くあげようとするとどうしても油の腐敗でいやな臭いがしますが、この問題を彼は過小評価していました。
ビーチナットその他の企業から食品専門の技術者を引抜き、この問題の解決にあたらせました。
やがてリチャード・トービンとレイ・キューエンマンはジャガイモが吸収できるぎりぎりの量の油を使って揚げる方法を考案しました。
この方法によれば、かすが残らず、従っていやな臭いがつきません。
これで準備は整いました。
1947年にはシンプロットの農業、鉱業、木箱製造、製材、牧畜場などの事業は順調に回復の軌道に乗り、試練の時期は終ろうとしていました。
助言者たちはフレンチ・フライの仕事は急がない方がいいと言いました。
しかし彼は1時間に3トンのフライを生産できる世界最大の工場を建て、貯蔵用の冷凍トンネル数本を用意しました。
「薄利多売」は危険ですがそれを補う利益があり、これを信条として成功した企業家は多いのです。
そしてそれがそのままシンプロットの商売の信条でした。
そのためシンプロットはまだ確実な市場も開けないまま、何度も巨額の投資を行うことになりました。
しかし低価格のために市場が開け、いったん需要が生まれた時には低コストのおかげで、確実な収益をただ待っていた競争相手よりも、より大きな経営規模、より低いコスト、そしてより大きな市場占有率を獲得することになったのです。